蔵前の街並み2022年06月10日 13:32


主催している「まち歩き」(埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会)で隅田川テラス歩き(いわば橋巡り)を企画していて、来週にはその第2回目を行います。場所は前回、最後に訪れた厩橋の続きで「蔵前橋」から始め、橋巡りのハイライトである清洲橋を経て、新大橋の右岸にある日本橋箱崎町あたりまで歩き、最後は甘酒横丁を通って人形町駅までいきたいと思っています。本来はこの2回目で最後の勝鬨橋まで一気に行ってしまおうと考えていたのですが、参加する20数人の(けっして若くはない)人達の体力問題という1回目の反省と梅雨から夏に向かうこれからの暑い気温を考えて3回シリーズに変更しました。


そんなことで最初に足を向ける蔵前でも少し付近の街並みを歩いてみようということで、下見とは別に、先日、都内を訪問した帰りにこの地区に少し立ち寄ってみました。すると思いがけない発見があり、台東区蔵前の良さを見直しました。まずは鳥越神社に行こうということで地下鉄・蔵前駅の深い駅から地上に出てみると目につくのはいくつかのにぎやかな幹線道路です。地図をみると江戸通り、国際通り、春日通りという有名な大道路が地区内を縦横に走っている場所です。不案内な身には地図で確かめながらおそるおそる歩くばかりですが、最初に目にとまったのが、ホテル? 劇場? と思いきや、子供達が出てくるのが見えて学校だ分かった「蔵前小学校」。「精華小学校」というプレートが道路上に建てられていて、なんと夏目漱石が通っていたという大変な歴史があるようです。


 蔵前小学校


調べてみると、もともとここにあったのは「精華小学校」ですが、児童数の減少ということで台東区が他の2つの小学校を統合して2003(平成15)年にできたのがこの蔵前小学校。ところが、最近になってまた子どもたちの人数が増えて教室が足りなくなってしまったということで新たに校舎を建て直すことになり、2019(平成31)年1月に、私が驚いたようなこの素晴らしい校舎が誕生したという次第です。本当に、見れば誰もが圧倒される建物です。国立競技場の設計で有名になった隈研吾氏のデザインだそうですが、斬新・華麗でありながら要所には木材を使い、この地にあった大相撲の殿堂・国技館の雰囲気を感じさせるような伝統美も備えています。正面は前面ガラスばりで朝夕児童たちでにぎわうと思われる部屋には木の香りが匂うような木製の下駄箱がきれいに見えます。屋上が校庭だそうで1周100メートルのトラックがあるようです。


 鳥越甚社


その先にある鳥越神社は、じつはこの校舎を見てから行くとやや寂しい感じがします。社伝によれば孝徳天皇白雉二年(651年)創立と伝えられる古社で全国的にもかなり有名なんですが、いかんせん敷地が狭いです。樹齢を重ねた古木が数本ありますが、神社を価値あるものにする奥深い社叢林がありません。実は鳥越神社は江戸時代以前からこの地にあり、平安時代にかの源義家(八幡太郎義家)が奥州征伐の折、ここ大川(現在の隅田川)で渡りに難渋しているとき、白い鳥に浅瀬を教えられ、軍勢をやすやすと渡すことができ「鳥越大明神」の社号を奉られたという伝説があります。ちなみにこの白い鳥はカモメではなく、足の立つ浅瀬でエサをとる鷺(サギ)でしょう。そんなことは誰でも分かるというものですが、当時は小高い丘があってそこから広い範囲を眺めることができたのでしょう。


ということで、江戸時代初期には一帯の約2万坪の広大な敷地を所領していたようですが、江戸幕府が全国の天領からの米を収蔵するため、隅田川沿いに蔵(浅草御蔵)を造営することになり、その埋め立て用にこの鳥越山を切り崩すことになり、土地を没収され、北側にあった姫ヶ池も鳥越山からの客土で埋め立てられ、大名屋敷などの御用地とされてしまいました。元の三社のうち熱田神社は浅草北方の今戸地区へ、第六天榊神社(榊神社)はやや隅田川よりに移され、残った大明神が現在の鳥越神社というのが現在の神社が狭い理由です。それでも、鳥越神社の例大祭に出る千貫神輿は都内最大級を誇ります。 例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)はコロナ禍でも毎年6月に開催され、今年も6月9日(木)~6月12日(日)の期間に開催されます。


 タイガービルヂング(一番上の写真)


そして帰りに見つけたのがタイガービルヂングです。国際通りを歩いていると向こう側に風格のある建物を発見しました。古いビルであることは確かですが、これは文化財レベルと思い、とりあえず写真だけを撮ってきました。調べるとやはりこれは面白い。1934年(昭和9年)建築の歴史的建造物でした。清洲橋などと同じ震災復興時期に建てられています。台東区内で最も古いビルで、建築技術史的にも貴重で、2016年(平成28年)に、国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。


この蔵前地区は、一見ごちゃごちゃしているようですが、住んでみれば人びとのつながりが深い、暮らしやすい街だろうと思います。川を渡ったとなりの深川はどうなのでしょうか。

フィッシング詐欺?2022年06月14日 16:49


何日か前、並行輸入品のショルダーバッグをネット通販のamazonで注文したんですが、注文品が届かず、しかも、その前後にいわゆるフィッシング型の詐欺メールが届くという状況が発生しました。まだ事態は完全に解消していませんが、お知らせの意味で状況を報告します。


まずは、6/6にamazonに注文。これはマーケットプレイス商品なので「出品者●●●●(日本の個人名)が注文を受けた」とすぐにEメールがamazonから来ました。しかし、その後も配送の連絡はなかなか来ません。そして6/11に以下のEメールがamazonから送られて来ました。これは正式なものです。


-----------------------------------------------------------
******* 様 下記のご注文について、現時点では、●●●●から発送確認の連絡がAmazon.co.jp に届いていないことをお知らせいたします。
==================================================
ご注文の詳細
==================================================
注文番号: 250-8466342-****
出品者名: ●●●●
出荷する商品:
商品名: FJALLRAVEN フェールラーベン KANKEN カンケン リュック リュックサック バックパック FJ 23510 デイバッグ ハンドバッグ レディース メンズ 16L 550-901:Black-Black Striped [並行輸入品]
数量: 1 ASIN/ISBN: B077CZHJCR
現時点では、上記ご注文の発送について、出品者からAmazon.co.jp への連絡がないため、お客様に商品の配送に関する情報をお届けすることができません。なお、上記ご注文の代金は、商品が発送されるまでお客様に請求されませんので、ご安心ください。
出荷予定日など、上記ご注文に関する詳細につきましては、お手数ですが、●●●●まで直接お問い合わせください。
-----------------------------------------------------------


「ご注文に関する詳細につきましては、お手数ですが、●●●●まで直接お問い合わせください」とありますが、電話もEメールもわかりません。Googleで検索してもサイトもブログも無いようでamazonの出品者としてしか名前が出てきません。いろいろなバックバックを並行輸入しているようです。


そして届いたのが上の写真のメールです。こういう詐欺メールは毎日たくさん来ます。ほぼ無視ですが、今回、どういう事情かわかりませんが、もっともらしい状況だったので、本当にこういう攻撃があったのかと一時信じかけました。ただし、正規のamazonサイトから自分のアカウントも確認できますし、パスワード変更も(するときは)正規に手続きしますから、このあやしいボタンをクリックすることはもちろんありませんでした。


しかし、今回は注文品が出品者から届かないという連絡がAmazonから届く前後というタイミングの中で、この偽メールが届き、「製品はスウェーデン製品で不正アクセスはロシアから」という設定なので一時は信じてしまいました。結局、よく考えるとおかしいということで、このメールは詐欺と判断しました。理由は

1 日付が2036/2/05になっていた。そのため、正確にいつ出されたものかわかりません。
2 プロパイダのスパム対策をしてる別のパソコンにはこのメールが来ていない。
3 タイトルが英文。

などですが、決め手になったのは、ネットでこの送信者のメールアドレス「secure@amazon.co.jp」を調べると、情報基盤センターのお知らせの「【2021/8/13 8:00】Amazonを騙る詐欺メールに関する注意喚起 2021年8月13日 セキュリティ情報」に、そっくりな事例が掲載されていたためです。


そもそもこの話、実際に注文品が届かず、しかも「製品はスウェーデン製で不正アクセスはロシアから」という微妙な設定がなければ、私だってすぐに偽メールだと気づいたと思います。こう考えるともう少し裏があるのかもしれません。


深読みすれば、この並行輸入業者からスウェーデンへの注文メールがハッキングされ、日本からの注文だということで、このタイミングで詐欺メールを送れば信じられると考えるような巧妙なシステムがあるのかもしれません。状況はまだわかりませんが、この注文はキャンセルしたものの、3日以上たってもくだんの●●●●さんからAmazonへの連絡はないようです。そうするとこの並行輸入業者も、もしかしたら被害者なのかしれません。


(追加)06/15にamazonより正式な注文キャンセルのEメールが届きました。

隅田川テラス歩き―2回目2022年06月21日 13:09


5月26日の記事「隅田川に架かる文化財」でお伝えした隅田川テラス歩きですが、その記事でも触れたように、参加者の体力や夏を迎えるという季節の関係で3回に分けた開催に変更しました。そこで、第2回目は前回の続き、蔵前橋から清洲橋までと距離は短くなりましたが、これも前々回の記事のように新しい発見も付け加えて隅田川ばかりでないまち歩きとなりました。集合はJR京浜東北線・御徒町駅北口。


隅田川沿いは江戸文化が爛熟した地域ですから、歩くたびにいろいろな文化財が見つかります。今回も、地下鉄蔵前駅すぐ横に「茅寺」なる立派な構えの寺があり北斎の浮世絵にも書かれているらしい石灯篭が鎮座しておりました。鳥越神社やタイガービルヂング、蔵前小学校の校舎は先の記事の通りです。


その後、蔵前通りを進みます。隅田川沿いにあった米蔵跡には、戦後になって大相撲の聖地・国技館が建って賑わいましたが、現在は東京都下水道局と見学施設「蔵前水の館」となっています。今回は見学しません。蔵前橋をわたり、すぐ見える緑地は旧安田庭園。隅田川の水を引いた潮入回遊庭園で江戸時代の大名庭園として造られ1879年(明治12年)、安田財閥の祖である安田善次郎が所有。その後、関東大震災により破損後、移譲を受けた東京市が復元を行い、市民の庭園として無料で開放されています。池をめぐってひと歩き。やや蒸し暑いこの日の休憩にはちょいどいいです。


次いで向かった両国橋は空前の大惨事になったとされる江戸・明暦の大火(1657年)の後に、千住大橋についで架けられた隅田川2番目の橋です。火災対策で設けられた両岸の広い火除地にやがて様々な遊興施設が作られ、相撲や花火も行われるなど江戸でもっとも賑やかな場所になりました。災害が江戸の街をつくったというのは本当のことです。また、これも火災復興対策として竪川など多くの掘割が掘られ、今日の深川の景観が生まれました。無縁仏を弔うために回向院が建立され、巨大な慰霊石碑が現存します。文字はほとんど読めなくなっています。現在では境内に関東震災や戦災の慰霊碑おまけにペットの慰霊碑までたくさんあります。


この付近にくると葛飾北斎の名前・記念碑が多く目立ちます。一方、あとで行く新大橋、清洲橋付近では芭蕉の石碑が多いです。北斎美術館(墨田区)と芭蕉記念館(江東区)の行政権力?でしょうか。両国橋を渡った右岸側近くに神田川が合流していますが、そこに架かるのが柳橋です(上の写真は橋から神田川を眺めたところ)。江戸時代以来、屋形船などの停泊地でもあり、現在も雰囲気を残しています。鉄製の橋も時代を経ると雰囲気が出てくるのが不思議です。


両国橋と新大橋の間の隅田川の上で首都高速6号線(下)と7号線(上)が交差しています。見上げるとまさに交差で、ここで桁を吊り下げる独特の工法が使われているとかで土木学賞を受賞しています。60年近く前の大工事だったと思います。江戸の街並みを破壊したと評判の悪い首都高ですが、建設した人々の熱気が想像されます。将来の文化財候補か?


右岸を進むと右手に緑の公園が見えてきます。中央区の浜町公園です。明治座のすぐ横、歌でも有名な浜町河岸に面して、いまでは近くのオフィスの人々の憩いの広場です。われわれもここで昼食休憩としました。休憩後、目指すのは、残りの2橋。まずはオレンジの橋脚が目を引く新大橋。今、われわれの見る新大橋は新しい橋ですが、かつては隅田川3番目の橋で、広重の『おおはしあたけの夕立』に描かれています。明治以降、鉄製の橋が建設され、現在の新大橋は昭和52年架橋です。江戸当時の橋は現橋より200m下流だったらしいです。


次いで見えてくる清洲橋は江戸時代にはなく、まったく現代の建設なのですが、ドイツのケルンの吊り橋がモデルといわれ、川面に映える青い塗装のつり橋型の流麗なスタイルで、今ではこの橋が隅田川随一の美橋といわれています。この日は昼過ぎまで靄っぽい薄曇の天候でしたんで、背景のビル群がすこし霞を帯びて、景観的にはなかなかよかったです。




橋の左岸手前に江戸の大動脈である小名木川が合流していますが、そこに架かる「万年橋」も隅田川の橋に劣らない名橋で文化財です。こうした橋が江東区にはいくつもあります。この小名木川近くに松尾芭蕉の暮らした芭蕉庵があり、テラスにも新大橋を題材にした芭蕉の句碑があります。ここから見た清洲橋が一番だと、地元の人はいうようですので参加者で記念撮影。橋を渡った右岸に金文字の立派な「国指定重要文化財の顕彰碑」があります。石原慎太郎知事時代ですが、その意思が働いたのか、類例を見ないような絢爛たる金ぴかの碑です



清洲橋を渡り終えると次は隅田川大橋。すぐ上の首都高速道路と一体化して見えます。近づくとますます巨大な橋げたの下が日本橋箱崎町付近で、ここで本日のまち歩きは解散です。