小鹿野アルプスとは ― 2022年04月02日 14:30
秩父地域は埼玉県の西部3分の1を占めていますが、小鹿野はその中でもさらに奥深く、最深部には両神山などの岩峰鋭い山々が聳え、まさに埼玉を代表する山岳地帯です。ここには観音院と法性寺という2つの秩父札所寺院がありますが、どちらも寺の奥に険しい岩山がそびえ岩窟寺院の趣を見せています。
今回、この32番札所の法性寺から出発して、その奥の院の観音山とそれに続く釜の沢五峰を周回するというコースを歩きました。どの峰をとっても標高は600メートル以下のいわば低山なんですが、随所にある洞窟仏は一昨年行った大分県国東半島の六郷満山を思わせるものでしたが、その後の登山路と鎖やロープで伝い歩く峰々は里山である国東半島より厳しいと感じられました。
3月最後の日曜日ですが、曇り空、西武秩父駅を町営バスで出発。午前9時過ぎ、法性寺に到着。午後には雨と風の予報も出ていたせいなのか他に山者の姿はありません。今回の山の会(朝霞山遊会)の参加者は11名。登山開始、急な階段を上がったお寺の裏手がそのまま登山口になっています。まさしく岩窟寺院、目の前に巨大な岩の塊が連なり、鎖で這い登る先に小さなお堂があります。さらに岩の道を登っていくと、風化した岩棚の先の岩陰に造られたいわゆる懸崖造りの観音堂が現れ、隣には数体の苔むした菩薩石像が並んでいます。このお堂は江戸時代(宝永年間)の建立ということですが、浸食されていかにも時代を感じさせるものからまだ新しい一体まで信仰の長さを感じさせます。その先の険しい「月光坂」の先が奥の院で、通称「お船岩」と呼ばれるらしいのですが、いかにもそれらしく風化して丸みを帯びた巨岩が眼前に現れます。その先の木々の間から黒い観音像がかすかに見えますが、いかにも歩きにくい巨岩の横を通り抜けて、そこまで歩いた人は窪んだ岩棚の中に鎮座する観音様坐像と周囲を見渡すように絶壁に立つ観音像(いすれも金属製のようです)にご対面できます。
ここまででも十分に岩場のスリルを味わえますが、登山はここからが本番です。この先が釜の沢五峰と呼ばれる尖った山頂が連なっている稜線で、特に最初と最後の岩峰は短いながら鎖とロープで上り下りする急坂で、なかなかスリルのある経験ができました。この辺が小鹿野アルプスといわれるゆえんでしょう。小鹿野を含めた秩父の地形は、遠い赤道地帯で形成された古生代の岩石が中世代ジュラ紀の大陸プレート運動によって圧縮・形成された砂岩泥岩互層ということで(秩父ジオパークの解説より)要するに、とんでもなく古く、しかも固いということです。
途中で雨が心配されたため中の沢の頭でタクシーを呼ぼうとしましたが不調におわり、予定通りにコースを周回することになりました。滑りやすい道をしばらく下ったあと、最後に、それほど危険はありませんでしたが左右にロープが張られた馬の背状の丸く滑りやすい兎岩を通り抜けて林道に到着です。立派な造りの長若山荘前を通って午後4時過ぎ、朝と同じバス停から西武秩父駅に戻りました。前の日に「まち歩きの会」で嵐山の杉山城往復路を歩いて疲れていたためか(実力か?)結構疲れてしまい、皆様のお世話になり、さらに2日間筋肉痛が残りました。どこであれ「アルプス」を甘く見てはいけません。
夢から覚める日々 ― 2022年04月22日 13:18
最近、おそらく年齢のためだとは思いますが、長時間続けて眠れなくなり、就寝から4時間、早いときは3時間くらいで目が覚めます。もちろん、少し時間をつぶしてからもう一度眠るわけですが、そしてまた1~2時間たってから目覚めるということを繰り返して、朝を迎えます。昼間の運動量や活動量によって違いますが、就寝は午後9時から10時ころで、午前6時前には部屋を明るくし、さらにベッドを離れるいわゆる完全な起床は午前7時前後が多いので、午前3時から6時くらいまでは不規則に短時間の睡眠を繰り返すというパターンが多くなりました。皆さんはどうでしょうか。
1回の睡眠時間が短いのには慣れましたが、その2回目あるいは3回目の睡眠の時には必ずと言っていいほど「夢」を見ます。もちろん「あこがれ」の意味ではなく、本当に睡眠中の大脳活動の記憶としての夢ですね。同年配あるいは少し上の年齢の方に聞くと「夢なんかほとんどみない」という人もいて、個人差があるようです。私も若いころはあまり頻繁に夢をみたという記憶がなく、現在でも起床前の短い睡眠中に見ることが多いので、これはやはり睡眠が短くしかも浅くなっていることの表れと思います。
さてその夢なんですが、圧倒的に「悪夢」が多いというのが実感です。内容ですが、自分が何かの理由で、追い詰められ、切羽詰まった状況に陥り、そこからどうやっても抜け出すことができないというようなものが多く、夢が覚めて「ああ、夢でよかった!」という漫画みたいな体験が何回もあります。
面白いのはその困った状況というのが、実生活の中では実になんということもないことが多いことです。例えば旅行中に自分の荷物が見つからないとか、乗るべき電車が来ないとか、連絡したいのに携帯電話が動かせないとか、はてにはトイレが見つからない! とか、ようするに現実では簡単に対応できることがまったくできず、ただただ気持ちが追い詰められていることです。国際陰謀組織に追われているのに足がまったく動かないなんていうスパイ映画みたいな設定の時もあります。
例外的に楽しい夢をみたり、「明晰夢」というらしいですが、夢の中で「これは夢だ」と自分で気が付くようなこともあり、これは結構楽しい体験なんですが、こういう時はわりとすぐに目覚めてしまうことが多いようです。とにかく割合としては悪夢が多いことは確か。夢というのは逆に解釈するのだということがよく言われます。つまり自分が真剣に考え気にかけていることが夢に現れるので、それくらい考えていることは現実では失敗しないということです。これはありそうですが、慰めになるかどうか。
悪夢ではありますが、覚めた後に感じるのは先ほどの「夢でよかった」という安堵感とともに、これはちょっと矛盾するようですが、何かスリラー映画を見終わったときのような快感じみた感じなんです。ということで最近では悪夢であれ、夢を見るのは一種の娯楽(?)に変わってきたような気がします。
こういうふうに自分の見た夢を思い出したりするのは精神衛生上良くないという意見も聞いたことがありますが、「夢」は映画や小説ではけっこう登場します。私の知っている例では、精神を病んだ自分の妻との日常を私小説的に描いた『死の棘』などで知られる作家の島尾敏雄の書いた『夢の中の日常』という中編小説があります。島尾敏雄の小説全体があまり明るい調子ではありませんし『夢の中の日常』もそんな灰色のトーンで書かれているのですが、この作品の中での主人公の見た夢のなかで覚えているのは、自分の体の中が痒くなって、口の中に手を突っ込んで胃をつかみ出して引っ張ると、なんと自分の体が裏返しになってイカのようなのっぺらな皮膚になってしまうという、なんとも奇怪なイメージです。夢は自分の意識の反映であることは確かですが、ここにはどんな見えない現実が隠されているのでしょうか。ちなみに島尾の実際の家庭生活も『死の棘』に近いらしく、また島尾自身にも長期のうつ状態があったようで、実生活の方がよほど悪夢だったのかもしれません。
上の写真は今の季節に咲く棘のないバラ―モッコウバラ。毎年、近くの路傍で見かけます。白と黄の2種類があるようですが、どちらも“夢のように”キレイです。ただし、夢の中でこのような典型的な夢のような景色が現れたという経験は私にはありません。本日も最後に見た夢は不可能な分量の仕事を抱えて思い悩むという設定でした。
外秩父の山々 ― 2022年04月28日 13:48
埼玉県はそれほど大きくありませんが3分の1は山岳地帯です。その大部分を占めるのが秩父地域ですが、埼玉県の行政区分はこの秩父地域を除いた平野部を2つに分けてさらに東西に区分するので、川越や所沢、朝霞は埼玉県の西部の都市とされてしまい、民間で報告書を作る際など「いやこの市は地図を見れば県の"中央部"にある」という意見が必ず出ます。
そして、その秩父は、さらに「外秩父」と「内秩父」に分かれます。入間川水系で分けた呼び方だそうですが、この埼玉県西部から秩父地域にかけて、秩父盆地を取り巻く山地の東側にあたる外秩父にある山地とその東側の山々を「外秩父七峰」と命名したのは誰か知りませんが、その名前を冠した「外秩父七峰縦走ハイキング大会」があります。この大会を企画運営しているのは東武鉄道なので東武鉄道が名付け親かもしれません。
東武東上線の小川町駅から出発して、官ノ倉山、笠山、堂平山、剣ヶ峰、大霧山、皇鈴山、登谷山を縦走し、寄居駅南口駅前がゴールで総移動距離は42キロ、ほとんど一日がかりで歩くというかなり過酷なレースです。ここ2年ほどコロナの影響で中止だったのですが、今年はこの4月14日に開催されました。なんと第35回目だそうです。中高年の登山ブームのためか年々参加者が増えているそうですから、スタート、ゴールともに普段はあまり乗客の多くない両駅に人があふれますから狙いは明らかで、この大会のお蔭でこの土地知った人が少しでもいれば目的は達成でしょうか。実際、秩父地域は自然を求めてやってくる人(多くは中高年)がほとんどで、私自身も頻繁に来るようになったのは60歳を過ぎて山歩きや史跡歩きを始めてからのことなんです。
それでも、山好きの間では以前から結構有名だったようで、地元の山の会でも参加・完走して獲得したという記念の帽子や手袋を持っている人がいます。そういう記念グッズがもらえたのは初期のころのようで、いつからか参加は有料になり、記念品もたいしたものではなくなっているようです。
今年も制限をしたとはいえ、参加者は3000人。この大人数が一斉に狭い登山道に集中しますから延々と行列が続くことになりますので、こういうレース型の登山を嫌う人も多く、私もどちらかといえば平日の静かな山のほうが好きなので、このハイキング大会に参加したことはありません。それでもこのコースは比較的行きやすい場所でもありますので、山歩きを始めてからの7年ほどで、この七峰に入っている山の多くに毎年何回か足を運んでいます。
なかでも笠山は、まだ山の知識のあまりない20年近く前同窓会の雑誌に地元に住んでいる女性のエッセイが載り、その存在を知りました。比企郡で一番高い山で、よく登っている、昭和50年代には地元の人たちが雨乞いのために頂上の神社に遥拝したというような内容でした。その後実際に登ってみると、笠山にポツンと飛び出ている頂上の岩の上には小さな社がありました。私が登山と信仰の関係に興味を持ったひとつのきっかけです。
今年も、偶然ですが縦走大会の1週間後の先週、コースの半分ほどを廻る山歩きを行ってきました。上の写真のように、縦走道の途中にある秩父高原牧場付近からは笠山(写真の一番左)から大霧山(一番右)までが見渡せました。穏やかな春の天候の中、咲き残っているヤマザクラや早くも咲き始めたツツジやヤマブキなどの色とりどりの色彩があふれています。今から1カ月くらいはこうした低山も気持ちよく歩けます。
しかし毎年思うことですが、季節の進み方が早いような気がします。時間の速さではなく、夏が早い、気温の上がり方が早いという、あまりのんきに考えられない事態の中にいるような気がします。
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