小川町の里山を歩きました ― 2021年05月02日 10:55
埼玉県・小川町にある手頃なハイキングコースとして有名な館ノ倉山から金勝山に抜けるトレッキングを行いました。3人以上で山に出かけるのは本当に1月以来です。
初々しさの残る新緑の木々が左右に広がる登山道。まぁ気候は最適ですし、歩くのにもほとんど無理のないほどの傾斜しかない静かな山里を歩けるのは本当に楽しいものです。ところが最初の金勝山への途中で、あまり愉快でない体験がありました。そのことは一日中心に残り続けましたが、ともかく、本日の大目的である山行は無事に終了しました。フジの花など季節の自然も十分でした。山以外では、途中の建築年代のわかる民家としては埼玉県で一番古いとされる吉田家住宅や大字笠原にある北向不動と穴八幡古墳に立ち寄りました。
吉田家住宅は東武竹沢から寄居方面に向かっているなだらかな丘の中腹にあります。遠くからも見える入母屋造りの大きな茅葺の家で、内部間取りは「三間広間型」と呼ばれる奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものだそうです。まず気が付くのは土間が広いこと。土間の一角に囲炉裏があり、炭火が赤々と焚かれています。その前で煙草を吸っている壮年の男性がいます。お話を伺うと吉田家のご当主だそうです。この国指定文化財を今も所有され、観光客用に食事(蕎麦)を出したりお土産を売っているそうです。土間の広い訳はここで紙すきをやっていたからだそうで、当時の写真も飾ってありました。小川和紙の地ですから、大きな農家で盛んにおこなわれていたんでしょうね。吉田家は、その場所から言っても付近の豪農だったのでしょうね。
北向不動は館の倉山の登山道から、手作りだということが明らかにわかる急で不ぞろいな石段を登った場所に祀られています。この道もかつては人が行き交う街道だったのでしょう。上から見えるのが笠原の里で、半身が浮き彫りされた不動明王については、この里の土地の庄屋は里人についての興味深い伝説が残されています。
穴八幡古墳は、市街の近くです。広大な八幡神社のすぐ裏にあり、そこから台地の傾斜が始まっていて、まさに川沿いの平地から見上げることのできる絶好の場所にあります。7世紀という古墳時代末期の方墳で、石室が見学できるようになっています。
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