高尾山の富士信仰道2019年09月17日 12:19


ようやく涼しい日が出てきましたので少し山歩き訓練をしようと高尾山へ出かけました。ただし、今回はいつもの稲荷山コースではなく、いわゆる表参道から薬王院を通って山頂へ向かうことにしました。最近の「まち歩き」で訪ねている富士塚にちなんで高尾山の富士信仰関連の跡を見てみようというのが理由です。

薬王院にはここ数年、お正月に参拝しています。今年は、薬王院の隣に鎮座している飯縄神社にも足を運び、高尾山の山岳修験の跡をたどるようにしましたが、この高尾山が近世以降いわゆる富士信仰の高まりの中で果たしてきた役割については、おおまかなことしか知りませんでした。

何事も知りたいと思わなければわかるものではありませんし、見たいと意識して探さなければどんなに重要なことでもあっさりと見逃してしまう――こんな経験ばかりですが、富士信仰の観点からみた高尾山も、そういう角度から光を当ててみると、思い当たることが多いものです。

高尾山に浅間神社があることは知っていましたが、その場所は薬王院のさらに上の不動堂の裏手で、そこは確かに高尾山のひとつのピークになっており、登山道や観光用(?)道路がうるさいほど整備されてしまった現在では想像が難しいですが、かなり峻険な山頂の岩場に設置された奥の院であることは新しい発見です(上の写真)。

また、その浅間神社から山頂までの尾根道は「富士道」と呼ばれ、裏高尾(小仏城山など)方面に少し歩いた見晴らし台で富士をあおぎ、富士山登山が難しかった時代の代わりの「富士詣」としたことなどもあらためて確認しました。

高尾山では今でも「高尾山修験道」の行事が開催されています。薬王院のホームページの「高尾山修験道」(https://www.takaosan.or.jp/about/syugen.html)にくわしく書かれています。以下はその中から。

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高尾山内に御祭りされております富士浅間社は、天文年間(四百五十年前)に北条氏康により建立され、その後、寛政10年と大正15年に再建されました。江戸時代に於いては富士・信仰が、その隆盛を極め、江戸八百講と呼ばれる程、富士信仰が民衆の生活に浸透し、多くの人たちが富士山を目指してその歩みを進め富士道が確立されました。
高尾山内の富士浅間社は、その富士道の重要な拠点であり、富士登拝が出来ない人々はその思いを先達に託し高尾山にて富士浅間社を拝み、その御利益を頂いていたのです。 その後、時代と共に幾多の衰微を繰り返し、現代に於いては富士道を歩む人々の姿が見られなくなった現状を、当山、御貫首の発願により、北条氏康が富士浅間社を建立してから、四百五十年目に当たる平成19年6月末より7月上旬の十日間に渡り、昔ながらの富士道を徒歩による富士登拝修行の再興を成されたのです。そしてこの富士道を徒歩による富士登拝修行は毎年、高尾山修験道により行われて行きます。
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また、この高尾山浅間神社の周囲には「富士山十界修行」をこの場で簡単に行うための仕掛けも設置されています。上の説明のように昨年(2018・平成18)に行われた修験体験の際に新たに造営されたようです。

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