『悲しき熱帯』とは2018年11月11日 11:54


鼻と下唇に飾り羽を差してこちらを睨んでいる恐ろし気な上の写真の人物は南アメリカの原住民・ボロロ族の男性です。撮影者はフランスの民俗学者レヴィ=ストロース。今から80年以上前のことになります。この部族をはじめ南アメリカの、この当時すでに滅び去ろうとしていた先住民族の調査記録を中心とする『悲しき熱帯』(Tristes Tropiques)という書籍(日本語版・下巻)に登場します。

この『悲しき熱帯』は民俗学の記録としてばかりでなく、文明論、社会論としても高い評価を受けている世界的な名作なのですが、なかなか簡単には語れない複雑さと奥深さを持つ書物ということになっています。その理由のひとつはレヴィ=ストロース博士の独特な思考回路とそこから生まれる独特の「文章」にあると思います。ただし、日本語訳で読むしかない我々としては、原文がそうなのかもしれませんが、こなれていないように感じられる訳文にもかなりの問題はありそうです。

さらにわかりにくい原因のもうひとつは、この本が、原作・日本語版ともに、内容はもちろん、その成立も、時間的・空間的な重層性を持っていることです。物語の中心になっているブラジルでの調査研究が行われたのは1930年代のことですが、その後、教授はナチスドイツの手を逃れてアメリカに移住、本の執筆は戦後の1954年から1955年にかけて行われています。しかし、完全な日本語訳が出たのはさらにその22年後の1977年になっています。その10年くらい前に『悲しき南回帰線』というタイトルで部分訳が出ていますが、私はそれを読んだ覚えがあります(探検・冒険のノンフィクションが好きだったからです)。

さらに地理空間の広がりも多面的です。母国・フランスでの研究生活、南米への旅とジャングル奥地での長期間の滞在、アメリカそしてインド、中東での活動。そこで感じたことが時間をかけて重なり合い、その後の独自の世界観と民俗学者としての人生を生み出したことは間違いないようです。フランスから最も近いアフリカのことが出てこないのは、文明によって滅亡寸前だった「新世界」の文化へのあこがれと哀惜があり、これがこの膨大な著作のタイトル=悲しき熱帯=として象徴されるようになったのだという想像ができます。

南米奥地への旅やそこでの数々の経験は「冒険」の名に値するもので、これは確かに余計な注釈なしに面白い。それ以外の箇所では私はしばしば理解に苦しむ箇所に遭遇しました。最初にいったようにこれは翻訳の問題なのかもしれません。どうも、このレヴィ=ストロース教授の思考にはそういうところがあるようで、訳者(川田順三)自身が、冒頭に置かれた「二十二年ののちに」という前書のなかで「事物の時間・空間の中での位置や展開、物の作り方についての記述には、どれほど注意深く読んでも、私(訳者)には結局わからなかったところが何カ所かある」と書いているほどです。これでは読者にわかるはずがありません。

最後の第9部その最後の2章は、イスラム教、キリスト教、仏教の宗教や世界とのかかわり対する教授の考え方(それは仏教に対する深いシンパシーを含んでいるようです)をあらわしていて非常に内容の濃い文明論になっています。現在の宗教・民俗対立の中で、示唆に富む一冊と思います。

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