八王子千人同心とは2018年09月28日 17:48


甲州街道が西八王子駅近くで陣馬街道と分岐するところが追分の交差点です。現在、そこに「八王子千人同心の碑」(上の写真)が建てられています。この付近が千人町という地名になっていることでわかるように、この付近には江戸時代、千人同心と呼ばれる職業の人たちが住んでいたのです。あまりなじみのない千人同心という言葉ですが、まち歩きをやっていると必ず「千人同心日光街道」という道に遭遇し、これが八王子から日光まで火之番のために交代で通っていたということを知るようになります。

同心とは江戸時代の下級武士のことですが、八王子では半分農民である郷士という感じのようです。ブリタニカ国際大百科事典では「1590年徳川氏の関東入国に伴い,代官頭大久保長安のもとで甲斐武田氏の旧臣である小人頭を中核として同心250人が編成され,翌年に500人,1600年には1組100人ずつの10組で1000人に拡充されている。これを統率する千人頭は槍奉行に属し,武蔵国八王子に在住し,同心は周辺の諸村に土着した。甲斐国境の警備と治安維持を任務としたが,1652年からの日光火之番,1705年からの江戸火消役なども務め,19世紀からは蝦夷地の警衛や北辺の開発にもあたり,幕末期には八王子千人隊と称された」と記載されています。さらに最近知った情報では昌平坂学問所が作成した「新編武蔵風土記稿」の一部の調査・執筆も行ったということです。私の住んでいる新座(旧新倉郡)地区もその中にはいるとか。

この同心碑をはじめ一里塚などいくつもの文化財を残している八王子地区の甲州街道の(一部ですが)まち歩きを計画しています。また、この甲州街道の現在とは違う小仏峠を超えるルート(甲州古道というようです)も歩いてみたいと思っています。

八王子千人同心については八王子市のホームページが詳しいです。
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/002/p005303.html

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