荒川彩湖湖岸の水神2018年06月26日 13:30


私が自宅から徒歩あるいは自転車で行ける範囲で一番開放的な視界が得られるのは荒川とその河川敷に広がる彩湖の周辺です。湖といっても彩湖は荒川の調節池つまり貯水池の名称です。出かけるとしても多くて年に4~5回というところですが、先日の日曜日、久しぶりにウォーキングに向かいました。平日でもジョギングや自転車競技の練習をする人はいますが(かなり本格的な人もいます)、休みの日は、人出は多いもののさすがにのんびりとした雰囲気があり、こちらも気楽です。

いつものように、秋ヶ瀬橋を渡り、サクラソウ公園のバス停から河川敷に入ります。武蔵野線を超え、彩湖の土手に登って、左回りに湖岸一周を開始しました。荒川本流の土手と彩湖の間の岸辺には舗装された周回道路があります。日陰に入れば暑さもしのげ、かなり快適な散歩道です。付近には彩湖造成前からこの付近に存在していた大野新田という村の土手の跡地と思しき微高地や雑木林、竹薮が続き、この季節でも山の中のようにウグイスの鳴き声が響きます。

15分ほど歩いたころ、湖岸側の藪が切りひらかれて細い道ができているのが目に留まりました。「水神様入口」という白地に赤い文字の鮮やか立て札もあります。中に入って20メートルほど進むとやや開けた場所があり、ケヤキの木の根元に小さな石碑が建っています。その横には「水神宮」の石も見えます。土台はコンクリートで固められていますが碑本体は古いようです。柱の前面中央には「奉納大乗(以下不明)」の文字が掘られ、左側面には「天保」の年号が刻まれています。先ほどいったように、この地には1970年代の彩湖(荒川調整池)の計画以前から農地と村がありましたので、この石造物はその当時からあるものと思われます。

不思議なことに、これまで何回もここに来ていますが、この石碑には気づきませんでした。水神様への踏み分け道や立て札も新しく作られたもののように見えます。もちろん、石碑は昔からこの場所にあったものでしょうが、誰かが発見して、祭り、立て札も立てたのでしょうか。彩湖成立以前のこの土地の記憶を残す雄一の文化遺産かもしれません。写真でご覧のように、きれいな花で飾られ、笹も添えられています。とても気持ちの良い思いがしました。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mylongwalk.asablo.jp/blog/2018/06/26/8903707/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。