『八月の光』の新翻訳 ― 2018年06月05日 19:31
『八月の光』という小説についてはこのブログでも何回か話題にしています。20世紀文学の代表作のひとつといわれるウイリアム・フォークナーの書いたこの物語を私は少なくとも3回は読んでいます。それでもいまだに、どの部分であれ、ストーリーのどこかを読み直すたびに新しい何かを発見し、考えます。複数のストーリーが太い糸のように捩りあって回転しながら静かな終着点に向かって進んでいく。いつもそう思い、私の知らない、人間と人生の深みを感じるのです。(同じ題名で広島の原爆をテーマにした日本の小説があるようです)
この小説を私は詩人で英米文学者の加島祥造の翻訳(新潮文庫版)で読んでいたのですが、2016年の末に新しい翻訳(岩波文庫版)が出たことを最近知りました。訳者は諏訪部浩一という人で東京大学の准教授、まだ40歳代と思われます。
翻訳はすべてそうでしょうが、フォークナーの様な独特の文体とスタイルを持った小説は翻訳のもつ意味がより大きいと思われます。『八月の光』にはもうひとつ高橋正雄の訳があります(河出世界文学大系80)。しかし、私のみるところでは加島祥造訳に及ばないようです。
諏訪部浩一訳は、当然、こうした先人の業績を参考にしたうえで原文の意に沿った読みやすい翻訳を目指しているはずです。今年の8月はこの本を楽しみに読むことにします。英語など全然できないのですが、翻訳の比較もやってみたいと思います。
ちなみに、この諏訪部浩一というひとは、少年時代に将棋棋士を志し、日本将棋連盟のプロ養成機関「奨励会」に在籍した経緯もあるそうで、18歳でやめるまでプロ棋士としての面をもっていたとようです。どういう頭の構造をしているのでしょうか。
上の写真は、ある集まりがあって武蔵浦和のコミュニティセンター(サウスピア)へ出かけたときに見つけたミズバショウ。別所沼の横にある用水路できれいに群生していました。栄養がよいせいかとても大きいです。
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