岩殿城2018年04月19日 20:47


ひと月ほど前のブログで伝えした中村彰彦氏の保科正之に関する講演(http://mylongwalk.asablo.jp/blog/2018/03/14/8803149
)の中で、山梨県・大月市にある「岩殿城」のことに触れていました。長篠の合戦で織田信長らに破れた武田勝頼が、その後、最後の砦として目指しながら力尽き、直前で自害したという悲劇の城です。この時の話は、後に信玄の娘で保科正之の養母になるという見性院に関するエピソードの一環なので、それ以上の説明はありませんでしたが、中央線沿いに何回か見覚えのある、あの岩殿山上につくられた古城の、空に向かって聳え立つ岸壁がまざまざと思い出されました。

その岩殿山にはじめていく機会がありました。とはいえ、634メートルの立派な山ですから要するに登山ということです。ただし、大月駅から山頂付近まではそのほとんどが階段で、市街が一望できる城址は、桜祭りが行われる市民の憩いの場のようです。いまはそうしたのどかな場所ですが、江戸時代初頭までは、眼下を行く旅人や兵士を監視し、他の城が落ちれば籠城の場ともなるという命がけの戦闘の場であったわけです。

思えば、ここを通る甲州街道は、東海道や中山道に比べて歴史の前面に出ることが少なく、江戸五街道のひとつでありながら、うっかりすると中山道の脇往還扱いされることもあります。しかし、山と谷の、この厳しい大自然を越えて走る街道は、今でも、中央線沿線の山々を愛する人たちばかりでなく、多くの人の夢を誘うものがあります。

上の写真は、岩殿山で有名な「稚児落し」の難所と思しき場所。多くの人が訪れる観光地になっていては危険度が低くなっていくのは致し方ないことでしょうか。なお、岩殿山は、昨年夏の豪雨災害で岩山の一部が崩壊し、公園の水道も水が出なくなっています。規模は違いますが、先日訪れた埼玉県・鳩山町の「おしゃもじ山」も山体の一部が崩れ土砂がむき出しになっていました。最近の異常気象のすさまじさの事例を見ているようです。