鈴ヶ森の処刑場跡2018年01月12日 10:36


1月9日に東海七福神めぐりを主眼とする「品川宿まち歩き」(埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会主催)に参加しました。その名のとおり、本来陽気で楽しいはずの寺社巡りですが、午前中から天候が悪く、ときおり大粒の雨がおちてくるのに加えて、最後に訪れた磐井神社の手前にある鈴ヶ森の処刑場跡地が、合理的な説明はできないのですが、なにか陰惨な雰囲気のただよう場所で、はやりの言葉でいえば、これはパワースポットなのか心霊スポットなのか。実に複雑なところです。

品川宿は以前の「浮世絵を歩く」という「まち歩き」を始め、数回は訪れているのですが、たいていは目黒川に架かる境橋までのいわゆる「北宿」だけでした。南宿はかなり様子が変わり、旧道のイメージはかなり薄くなります。青物横丁付近からは旧街道を示す道路標示もなくなり代わりにガードレールが登場、まったく一般の道路になっています。そして、この八ツ山橋交差点から続く旧東海道筋が終わり、第一京浜という現代の東海道に合流する場所がちょうど鈴ヶ森の刑場跡付近です。私には初めての場所です。

千住の小塚原と並んで江戸の入り口におかれたこの鈴ヶ森刑場は、いまでは江戸当時の面影はほとんどないとのことですが、場所自体ははまさしくここであり、当時の位置そのままではないのでしょうが、実際に使われていたと思われる石でできた「火炙台」や「磔台」が無造作に置かれ、花束やお線香が供えられているのが妙にリアルです。

遠くからみると、白い柱に黒い文字で「史跡 鈴ヶ森刑場遺跡」と大きなく書かれた標識が枯草の茂みにそびえ立っているように見え、これまた異様な光景を作り出しています。江戸時代以前、罪人への刑罰は苦しみを与えることも目的のひとつでした。また多くの人に見せることで「みせしめ」にしたことも事実で、苦しい生活の中では、これを一種の「見世物」ととらえていた見物人もいたでしょう。当時、海沿いの荒れ果てた海岸の一角にあったこの場所をあえて通らずに進む間道もありました。

とはいえ、現在ではここは大都会です。すぐ前に住んでいる人もいますし、近くには小学校も幼稚園もあります。慣れてしまえば気にもならないのでしょうが、古い街の中には、こうした歴史の闇の空間があり、多くはそこになにがしかの石像が建てられ、忘れられてゆくのを待っているようです。

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