飯縄権現の天狗の話2018年01月07日 21:44


新年恒例の高尾山参拝登山―といっても昨年からですが。1月6日ともなると薬王院も空いています。中高生の団体が目立った程度で、通常の参詣客はあまりいません。それもケーブルカーで上がってきてお参りした後また下山という人が多いようで、奥の院から高尾山頂上という奇特な人はもっと少ない。もともと1年で登山者が一番少ない季節ですから、こんなものでしょうか。

今年の参拝の目的は昨年行かなかった飯縄神社にお参りすること。この神社は総本山が長野県・長野市の西北にある飯縄山にあり、いわゆる山岳修験道の聖地として知られています。昨年、山岳宗教から天狗へと関心がうつり、そのへんを少し調べているので、関東でも有名な天狗信仰の本山・高尾山にお参りしておこうというのが動機です。

高尾山は明治以前の神仏混淆の信仰形態を残している山なので、真言宗の寺院と同時にあまたの神社が混在しています。奥の院にも薬師堂のすぐ隣に真新しい飯縄権現が祭られています。ここへの参詣者は薬師堂で健康を祈り、飯縄権現には健脚を願います。便利な仕組みです。奉納された小さな下駄がたくさんありますから、信仰は絶えないようです。もちろん、昔と今ではその目的はかなり違うでしょうが、足腰が大切なのはかわりがないようです。本山の飯縄神社にもこの下駄は奉納されているのでしょうか。

ところで、飯縄山については、同じく修験道の山である戸隠山にある戸隠寺文書に「学問行者が戸隠山を開くに先立って飯縄に登り祈念を行った」ことが記されているそうです。つまり、どちらが古いといえないほどの歴史があるとわけですが、天狗については飯縄神社との関連が深いようです。また飯縄山という山名ですが、山頂より食べられる砂(飯砂)がとれたので「飯砂山」。転じて「飯縄山」と言ったという伝説があります。どうもこれは一種のキノコのことだと思われます。

こうした点についての情報は、飯縄神社公式ページ(http://www.iizuna-jinnjya.jp/index.htm)の中の「由緒」に詳しく出ています。大変に面白いのでご一読をお勧めします。

このホームページの「中世の飯縄神社」の中に、次のような箇所があります。

 また同記(戸隠神杜の古縁起「戸隠山顕光寺流記」によれば、鎌倉時代に至って、
 戸隠の支配を離れて戸瞬修験とは別に飯縄大明神をもって「天狗」と唱え、いわ
 ゆる飯縄修験すなわち飯縄修法(飯縄の法)を行っていたことがわかります。飯
 縄の法を行う修験者は飯縄使とも云われていました。飯縄の法は、飯縄大明神が
 変幻自在の天狗となって、あるいは六地蔵と現じて国土を回り、衆生を助け魔界
 をなくそうとすることを本旨とするものであったようです。またこの秘法には、
 その第一に「弓箭刀杖難来時、飯縄大明神八天狗奉祭可遁其難」とあるのをはじ
 め、戦勝の祈顛、赦滅の祈順、病患を除き寿命を延ぷるの秘法、一三ヵ条が口伝
 として列記されております。室町時代からその修法が広く信奉され、武将にもい
 たっていたことが知られています。

実は高尾山が戦国の世以来、関東や甲斐の国の武将たちの庇護を受け、守られてきたのはこの「飯縄権現」のおかげであるともいえます。少しこじつければ今日の高尾山の自然を守り、観光地にしているのも天狗の神通力といえるかもしれません。

(以下は追加)

天狗にも「大天狗」と「小天狗」の2種類があり、修験道の行者がモデルとなっているのが大天狗。この高尾山薬王院にいかめしく立っている天狗像はまさにこのイメージです。一方、小天狗とは「カラス天狗」のことらしく、このモデルが古代インドに起源をもつ「迦楼羅」であるとは前に書いたことがあります。

 ・http://mylongwalk.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589702

なお、こんなことに関して、森田きよみさん著の『小天狗道中記』という愉快な本があります。