膨張するさいたま市2017年12月31日 15:18


12月30日、同窓会(忘年会)のため大宮に。時間があったので久しぶりに北浦和駅前から旧中山道を歩きました。とくに古い建物が残っているわけではありませんが、なんとなく旧街道の雰囲気が感じられ、いわゆる新国道(17号線=子供の頃はそう呼んでいました)よりは道幅も狭く、車通りも少ないためか、落ち着きます。与野駅前をすぎた付近から両側に背の高いケヤキ並木が目立ってきます。さらに新都心駅が見えだすあたりの進行右側にかなり広い空き地が見えてきました。工事用フェンスで囲まれていて明らかに開発用地であることがわかります。概要を示すと思われる何枚かの掲示板も見えます。

この場所は少し前まで三菱マテリアルの研究所があったところです。一時は実験用の原子炉?が設置されているとかでその後処理が話題になりました。けっこう広い場所ですし、おまけにJR京浜東北線の大宮駅や新都心駅からも近いということで住宅地としての価値は高いでしょう。この跡地利用がどうなるかは注目されていましたが、どうやらそれが決まってきたようです。近づいて、フェンスに設置されているパネルの説明を読んでいくと、とりあえず開発が決まっているのは世帯数1000戸の15階建ての巨大なマンションだけのようですが、その他にいくつかの公園などを含む巨大な街区が誕生する予定になっています。

おそらく、また、ここに数千世帯の人たちが移住してくるのでしょう。私は5歳の時から30歳近くまで大宮市に住んでいました。そのころの人口は確か30万人もなかったと思いますが、現在はさいたま市となって120万人以上あります。もちろん、与野、浦和、岩槻などを含んでいますが、大宮市域だけでも人口の膨張は続いています。聞くところでは西区にも大きな開発構想があるようです。

おそらく、また、ここに数千世帯の人たちが移住してくるのでしょう。私は5歳の時から30歳近くまで大宮市に住んでいました。そのころの人口は確か20万人程度だったと思いますが、現在はさいたま市となって120万人以上あります。もちろん、与野、浦和、岩槻などを含んでいますが、大宮市域だけでも人口の膨張は続いています。聞くところでは西区にも大きな開発構想があるようです。

来年で30年続いた平成という時代が終わりますが、この間の大都市への人口集中は加速度的に進んでいます。日本全体では人口が減少する中、東京圏には人とモノが集中しています。大宮も浦和も大きな意味での<東京>です。誕生当時は「さきたま」という土地名になんのゆかりもないのに名づけられた架空のまち―さいたま市が膨張しています。

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