地元・朝霞で「まち歩き」2017年10月10日 00:01


以前、このブログに埼玉県蕨市の<まち歩き>の記事を掲載しました。その時に主催者を「ある団体」としましたが、これは私が10年近く前から入っている埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会という団体のことです。その中でも、この「まち歩き研究会」は私が設立したもので、『浮世絵を歩く』などテーマは変わってきましたが、2か月に1度くらいのペースで、かれこれ5年くらい継続してきました。

この会が、9月の22日に、私の現在の住所である埼玉県朝霞市をテーマとする「武蔵野台地の古代・中世・近世―朝霞市の歴史と文化」のまち歩きを行いました。集合はJR武蔵野線の北朝霞駅。29名が参加しました。けっこう多いです。

この日のコースである<東円寺→朝霞市博物館→城山公園→柊塚古墳公園→高橋家住宅>の付近は私がよく散歩に行く場所なので、少しだけですが、隠しておいた宝物を見せるような誇らしい気分になります。

参加者は、朝霞台駅からすぐに急な崖を下ります。これは黒目川(あるいは古代の多摩川)が武蔵野台地を侵食して形成した河岸段丘です。黒目川は東京の小平市付近から埼玉県新座市を通って朝霞市内を流れて新河岸川へ合流しますが、水源がすべて武蔵野台地の湧水であり、流域には「平成の名水100選」が2か所もあるという清流です。川を渡ってすぐにまた対岸の崖線を登りますが。見えてくるのは真言宗智山派の東円寺です。朝霞市内最古のお寺で境内には空海伝説の残る不動の滝があります。

次いで狭い谷を隔てて朝霞市立博物館。ここには水車を利用して発展したかつての伸銅工業の製造工程のジオラマが展示されています。いわば朝霞の近代ですね。

崖の上にもどり、台地の東北端に半島状に伸びている丘の先端には地元で「岡の城山」と呼ばれる場所があります。戦国期の山城跡で、土塁と空堀に囲まれた4つの郭からなっています。狭いですが、山城の形状がよくわかる遺跡です。ここの中も階段状の地形で参加者はアップダウンの連続です。

次いで柊塚古墳。これも少し離れた台地の突端に立地。一部が損壊していますが、埼玉県南部で唯一、墳丘が現存する貴重な前方後円墳です。ここで昼食休憩。ここからまた小さな谷を隔ててあるのが朝霞市にある唯一の国指定重要文化財である旧高橋家住宅です。ここは朝霞市博物館の三井田学芸員に解説をお願いしてありました。

江戸中期、18世紀前半の建築と推定される、木造平屋建て・茅葺の農家建築。主屋を中心に、納屋・倉・木小屋・井戸小屋・祠などの付属屋が主屋の周りに位置し、周囲には雑木林や畑が広がる、近世の武蔵野台地上の農家の風景が想像できる環境となっています。この雑木林や畑など周囲の環境も建造物とともに国指定の重要文化財に指定されているのが特長です。

解説は1時間くらい続き、終了は午後3時頃。天候はなんとか終了まで持ちました。

鮮やかな色彩の三本槍岳へ2017年10月16日 19:27


9月26日(火)、地元の山の会一行12名の参加で那須連山の北端にある三本槍岳(1917m)に登りました。“槍岳”と名前がつきますが、山名の由来は形状ではなく、国境を示す槍を立てたとかいうことのようです。那須というと栃木県のイメージですが、この山は福島県(旧名は会津)との県境にあります。

午前5時半に3台の車で出発。順調に走って8時半には中腹のマウントジーンズ那須ゴンドラ駅に到着しました。久しぶりの好天に高原の澄んだ青空です。快適なゴンドラにグラグラゆられ、着いた山頂駅からは遊歩道が始まっています。途中の展望台からは山麓の緑と山頂付近のまだら模様の紅葉の中に独特の茶臼山、鬼面山、朝日岳などの那須連山が浮かび上がっています。やがて笹薮の中を切り開いた登山道。途中に樹林帯もありますが、見晴らしの良い尾根道が続き、両側に開ける緩やかな山容と鮮やかな色彩の景観を楽しみながら歩き続けます。湿度も低く、汗の苦手な軟弱者(私)には最高です。「天気がいいというのは最高ですな」とはM氏の言葉。この日はM氏の嫌いな雷もありませんでした。

12時頃、三本槍岳山頂に到着。かなり広いです。これなら槍の10本くらい立てられそうです。北方向の会津方面に先日登ったの磐梯山を探しながら周囲の風景を満喫しました。昼食休憩。快晴・無風ということで調理器具を使う他の登山者もいましたが、気が付くとわがK会長も少し離れたところでお湯を沸かしてラーメンを作っていました。

下山も順調でしたが、3時前になると雲が広がり、ゴンドラ山頂駅につく頃には風も冷たくなってきました。やはり1500メートルを超える高原です。しかしこの日はあとはゴンドラで下るだけなので、売店でコーヒーやビールを飲むなどしごくゆったりとした気分で過ごせました。今日は、この余裕で最後までいけると思ったのですが、なんと帰路の東北道、埼玉県直前の館林付近で突然の渋滞。ノロノロ運転で1時間以上。渋滞の先には、走行車線をふさぐように横転した大型トラックがありました。それでも午後8時ころ、なんとか和光市にたどりつきました。

緑内障の手術で入院します2017年10月16日 19:49


かなり以前から緑内障の治療をしています。といっても、3種類の点眼薬を毎日差すだけなのですが、これは眼圧をコントロールするためのものです。緑内障の原因は眼圧の上昇による視神経の損傷ですが、いまの医学ではこれ以上の治療はできません。

治療というより、現状維持といったほうがいいですが、どうも左目が、この点眼薬だけの治療では不十分ということで、外科的な手術をして、眼圧のコントロールを行うことになりました。

このための手術と療養で、予定では10日間の入院をします。ひとつの目だけの治療にはやや長すぎると思いますが、都内の病院への通院などが大変ということもあるようです。また、緑内障の患者には高齢者や他の病気との合併症患者も多いために術後の容態を見るという要素もありそうです。

わたしはこの病気以外は非常に元気なので、経過をみて、なるべく早い退院を要望してみたいと思っています。

上の写真は朝霞市内の「滝の根公園」というところにある吊り橋。あるくとゆらゆら揺れますが、全然怖くはありません。

ようやく退院できました。2017年10月29日 11:37


眼の病気(緑内障)で代々木の病院に入院していました。内臓や手足の病気と違い、やや不自由にはなるものの日常活動には支障がないわけですから、わりに簡単に考えていましたが、結局予定通りの10日間の入院生活になってしまいました。

入院翌日に手術。ご存知のように眼球には神経がなく、もちろん局所麻酔をしましたが、痛みはほとんどなく、麻酔が切れても、眼の中に異物が入った時の様なごろごろ感はありますが、眼球を動かさないようにしていればそのまま治まります。

病院として心配なのは感染症などの2次被害のようで、切開した方の目に、そのための点眼薬を一日4回差し、さらに、もうひとつの目にも通常の点眼薬を2回差します。その間に午前午後の眼科にいっての検診、点滴や定期的な検温、血圧検査、3回運ばれてくる食事やシーツ交換などけっこういそがしいことになります。

4日ほど過ぎて入院生活にも慣れてきたので外出の許可をとろうと思ったのですが、連日の秋雨と台風の襲来でチャンスがなく、ようやく7日目に晴れ。1時間ほどという条件で外出できました。新宿まで歩いて、南口のバスターミナルを見学。翌日はすぐ近くにある明治神宮を散歩。観光客のほとんどが外国人。

退院時の注意点は「無理をしないこと」。まだ抜糸をしていませんから、10日間ほどは長めの散歩程度の運動に刷る予定。ただし、仕事が2、3件あり、これは仕方がありません。
11月中旬から普通の生活に戻す予定。

上の写真は、外出のときに見つけた代々木駅前の相当に古いビル。背景に聳えるのはNTTコモ代々木ビル。夜になると上部がライトアップ、病室からよく見えました。