喫煙風景の盛衰2017年07月30日 12:50

地元の市の環境審議会の委員というのになっていて、たまに委員会があります。市役所の担当者が作成した「環境計画」をほぼ追認するだけのものですが、意見をいうことはできます。つい最近の会議で私が発言したのは「野良ネコの餌やり」と「タバコのポイ捨て」という、共に、必ずしも行政の大問題とはいいかねるテーマについてでした。多分、野良ネコのほうがシリアスな問題とは思いますが、ここではタバコについて横道にそれてみます。

つまり、タバコがこんなに嫌われる社会になったのはいつごろからだろうかということです。こう思ったのは上記の委員会のこともありますが、ほぼ同時に(偶然に)アメリカの戦前のミステリー小説を読んでいたからです。1930年代、日本流にいうと昭和10年代に書かれた作品で、そんな古いものをと思われるかもしれませんが、私の読んだレイモンド・チャンドラの『大いなる眠り』や『長いさよなら』『さよなら、愛しい人』は、2000年代後半に翻訳され、さらに最近ハヤカワ文庫に収められたものです。もちろんどれもとっくの昔に翻訳されていて、それなりに人気があった作品ですが、(あの)村上春樹が新しく翻訳を行ったということであらためて評判になったようです。

この時代のアメリカの(たぶん日本でも)小説に登場する人物は、男も女も、ほとんど例外なくタバコを吸っています。紙巻き、パイプ、いずれにしろ、もしタバコがなかったらどうするんだろうという具合に、普通に、自然に、シガレットケースから取り出し、結構苦労してマッチを擦り(当時はそうだったらしい)見事な煙の芸術をつくりあげ、ときにフロァに吸殻を捨ててもみ消したりしています。

これはミステリー小説だからというわけでもなさそうで、そういう時代だったとしかいいようがないようです。たとえば、これも小説ですが、ウイリアム・フォークナー『八月の光』のジョー・クリスマスは、火気厳禁の代表みたいな「おが屑工場」の中で平然とくわえタバコで仕事を続けていますし、もう少し新しいところではテレビ映画の名作『刑事コロンボ』(これもミステリー作品?)で主人公は葉巻を吸いながら(つまり灰を落としながら)悠然と殺人事件の実況検分に立ち会っていました。これは1980年代でしょうか。

それが現在では、駅前でタバコなど吸っていようものなら、通行人に叩き落とされる、とまではいかなくとも「喫煙スペースに行きなさい!」と注意され、コンビニの裏にある物悲しく暗い場所で、まるで日陰もののようにこそこそ吸うしかないのです。

ちなみに私は30歳ごろに禁煙し、その後当時はまだあまり問題視されていなかった職場での喫煙で会社に苦情をいうなど、禁煙権の推進者のひとりでした。

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